トワル・ド・ジュイとは何か? トワル・ド・ジュイに本物と偽物がある?
トワル・ド・ジュイを日本に紹介し、その普及活動を進めるD&T FRANCE。我々が表現する「本物のトワル・ド・ジュイ」とは。今回は、そちらをテーマにお話ししたいと思います。
「”本物の”トワル・ド・ジュイとは何?」
「トワル・ド・ジュイには、本物とそれ以外のものがあるのか?」
当店は、こんな質問をいただくことがよくあります。結論から言いますと、「はい、トワル・ド・ジュイには、本物が存在します。」
今回は、フランスの歴史を紐解きながら、分かりやすくご紹介していきます。
トワル・ド・ジュイの詳しい歴史については、別の記事でご紹介しております。よろしければ、そちらも合わせてお読みください。よりトワル・ド・ジュイの全体像をご理解いただけることと思います。
皆さんは、トワル・ド・ジュイという名称はどこから来たのか?そして、当時のプリント機は今どこにあるのか?と疑問に思ったことはないでしょうか?
18世紀フランス。ルイ16世の治世下の中、フランスには、多くの生地工場がありました。その中で、マルセイユ、ナント、そしてジュイの工場は、特に栄えていました。
激化する生地産業
当時は、どの生地工場も最新デザインのリリースに必死になっていました。ファッショントレンドとなるデザインを我先に世に出したい。生地業界でのデザインの競争はとても激しいものでした。それまで長い間、フランスでは花柄のデザインが人気でした。ただ、同じ花柄でも、いかに人気のデザインを世に出すことができるか。常に他工場のデザインをチェックし、トレンドの最先端チェックしていました。
オベルカンフ氏の生地に対する情熱
ジュイ=アン=ジョザスの街には、たった1つ、生地工場。クリストフ=フィリップ・オベルカンフ氏により、1760年に設立された生地工場です。工場長であるオベルカンフ氏は、他の生地工場に勝るこだわり随所に見せます。生地の織りの質、コットンの質、プリントの質、インクの質。生地作りにおける全工程に、マニアックなまでの徹底的なこだわりを見せました。
その工場長のこだわりを全て実現した当時の職人の技。そして、そうして完成した生地は、瞬く間に評判が広まりました。まさに最高品質の生地として、誰もが欲しがる生地となりました。
生地に心を奪われた王妃マリー・アントワネット
オベルカンフ氏が生地工場を構えていたジュイ=アン=ジョザスの町は、パリからベルサイユ宮殿を行き来する貴族の通り道に位置していました。そして、まさにその道を通った馬車に乗る女性。それが、マリー・アントワネットと言われています。
ある日、工場の外で出来上がったばかりのプリント生地が天日干しされていました。その美しさに目が留まり、心を奪われた王妃マリー・アントワネット。王妃自身も、そしてフランス国王ルイ16世も、その後、自らその生地工場訪れました。そして、生地をオーダーしていたと言われています。
ロイヤルマニュファクチュアとレジオン・ドヌール勲章
1783年には、この工場はルイ16世より「ロイヤルマニュファクチュア」の称号を与えられました。その名誉ある称号は、フランスのみならず、ヨーロッパにその噂は広がり、瞬く間に世界中の誰もが憧れる生地となっていったのでした。
革命後も、ナポレオン・ボナパルト自身も工場を訪問しています。そして、その栄光を讃え、工場長へは「レジオン・ドヌール勲章」が与えられました。
「カマイユ」の単色プリント
さて、オベルカンフ氏の工場が世界的に有名になったことには、もう一つの理由があります。それは、「カマイユ」と呼ばれる技法による単色プリントが世界に衝撃を与えたことです。そして、そこに、「トワル・ド・ジュイ」と呼ばれるようになった、嘘のような本当の理由が隠されているのです。
それまでフランスでは、多くの色を用いてエキゾチックな花や動物で彩られたデザインが人気でした。しかし、人々は「カマイユ」と呼ばれる単色でありながら、そこに濃淡・明暗のみで描き、単色とは思えない見事なまでの表情豊かなプリント生地に虜になりました。
究極までこだわったオベルカンフ氏の生地と
トワル・ド・ジュイの語源
各地の生地工場でも、この単色刷りの技法を用い生地を製造されていました。しかし、こだわりの強いオベルカンフ氏が作り出す生地は、特に人々の心を魅了しました。生地の織りの質の良さ、手触り、生地の白さに加え、単色とは思えない表情豊かな美しさ。オベルカンフ氏の生地を見みた人々は、いつしかこの生地をこう呼ぶようになりました。「ジュイの街からの生地=トワル・ド・ジュイ」。本来、生地の名称は技法やそのデザインの名称から名付けられることが一般的です。
従って、本来、この生地は「カマイユ生地」と呼ばれるところ、他の生地工場と区別する目的で人々が付けた名称。それが、工場がある街ジュイ=アン=ジョザスのジュイを取り、「ジュイの街からの生地=トワル・ド・ジュイ」として呼ぶようになったのです。
それ以降、オベルカンフ氏が作る生地は「トワル・ド・ジュイ」と呼ばれるようになりました。そして、それが現在もその名で呼び続けられているのです。もしその当時、人々が別の呼び方をしていたら。。。そう考えると面白いですね。
工場の閉鎖
オベルカンフ氏の工場は、1789年のフランス革命や1814年のフランス皇帝に対する反発などの影響を大きく受けました。そして、生地工場は、1843年完全に閉鎖されてしまいました。
引き継がれるオベルカンフ氏の魂
1860年、オベルカンフ氏の生地工場が閉鎖されてから17年後。メゾン・シャール・ブルジェがパリで創業しました。その目的は、フランスの歴史的な生地の複製および編集。そしてそのフランスの生地文化の歴史を後世に繋ぐ使命のためでした。
守られたフランスの生地文化の歴史
オベルカンフ氏の生地工場で実際に使用されていた「銅板ローラー」。それは、ローラー状になった銅板のデザイン版です。フランスの生地文化の一時代を作り上げたローラーは、工場の閉鎖後、管理する者がいませんでした。
メゾン・シャール・ブルジェは、その状況を知り、収集活動に専念しました。そして、200年以上経った今でも使用でいる状態で大切に保管・管理されています。
現在、メゾン・シャール・ブルジェは、最も多くのその歴史的銅板ローラーを所有するメゾンです。(現在14本所有) それを実際に使用することで、200年以上前のマリーアントワネットが生きた時代の「本物のトワル・ド・ジュイ」を、今も作ることができる唯一のメゾンなのです。
歴史を守る努力
そして、メゾン・シャール・ブルジェは、この美しいフランスの生地文化の歴史を後世に繋げる努力を現在も続けています。それは、当時作られた本物の歴史的生地や銅板ローラーなどを世界中の美術館、博物館へ寄贈すること。そうすることで、より多くの人にフランス生地文化と歴史を肌で感じていただきたい。それが、メゾン・シャール・ブルジェとしての願いなのです。
そして現在、フランスのジュイ=アン=ジョザスの街にあるトワル・ド・ジュイ博物館、ロンドン博物館、ニューヨークの美術館などでは、メゾン・シャール・ブルジェの歴史的コレクションが大切に保管・管理されているのです。
シャール・ブルジェのトワル・ド・ジュイコレクション
メゾン・シャール・ブルジェは、そうしたトワル・ド・ジュイを複製および編集ができる商業的権利を所有しています。
以下が、メゾン・シャール・ブルジェが所有するオベルカンフ氏より受け継いだオリジナルデザインの数々です。そして、「トワル・ド・ジュイ=ジュイの街の生地」の言葉の語源より、オベルカンフ氏がジュイ=アン=ジョザスの生地工場で作った生地全てを「トワル・ド・ジュイ」と呼ぶことが正しい「トワル・ド・ジュイ」の定義となります。
トワルドジュイと”風”なデザイン
今日、メゾン・シャール・ブルジェが所有するデザインをベースとした日本製のトワルドジュイ風の生地や、オリジナルデザインに加工が加えられた生地など、日本でも多く目にするようになりました。200年以上たった今も、「トワル・ド・ジュイ」が人気であることは大変嬉しく思います。ただ、やはりその歴史を大切にしたいという手前、複雑な心境であることは正直なところです。
守っていく伝統と歴史と私たちの役目
メゾン・シャール・ブルジェは、フランスの生地文化における歴史を守り続けています。そして、伝承し、多くの方々に知っていただく活動を日々行なっています。200年以上も守り続けられている「トワル・ド・ジュイ」は、メゾン・シャール・ブルジェなしではありませんでした。歴史はひとつであり、その正しい歴史を今後も伝え続ける、それも我々の大切な使命の1つです。
現状を時代の流れとして黙認することなく、「本物のトワル・ド・ジュイとは何か」を、多くのみなさまに知っていただきたいと思っています。その違いを知っていただくことで、シャンパンとスパークリングワインのような、明確な違いに気づいていただけるからです。
もし皆様が、この本物のトワル・ド・ジュイが「トワル・ド・ジュイ」と名付けられ、その歴史に生きたオベルカンフ氏をはじめとする職人の方々のこだわりや情熱を大切に思ってくださるなら、ぜひこの歴史を多くの方に向けてお話ください。そして、フランスの本当の生地の歴史を守るお手伝いをしていただきたい。
メゾン・シャール・ブルジェが守り続ける本物のトワル・ド・ジュイ。より多くの方に知っていただきたい。そして、この時代で有耶無耶にすることなく、その生きる歴史を身近に感じていただきたい。
最後に
トワル・ド・ジュイとは何か?それは、ジュイ=アン=ジョザスの街で人生を生地に賭けた職人が作り上げた、最も美しく、最も人の心を魅了した生地。それが、本物と言われる「トワル・ド・ジュイ」なのです。
日本では、D&T. FRANCEがメゾン・シャール・ブルジェのブランドアンバサダー、及び、総代理店として、トワル・ド・ジュイの普及活動に励んでおります。
当社でお取り扱いのあるトワル・ド・ジュイは、全て本物のトワル・ド・ジュイとなります。トワル・ド・ジュイに関してご不明な点やご質問がございましたら、お気軽にお問い合わせください。
そして、トワル・ド・ジュイが人々を魅了したルイ16世時代、時を同じくして、トワル・ド・ナントという、こちらも、トワル・ド・ジュイ同様、当時の風景や思想が描かれ、人気を呼んだ生地がありました。
ジュイ=アン=ジョザスとナント、この二つの街で生まれた同じようなデザインの生地。その誕生秘話など、フランスの生地文化をまた掘り下げて、その興味深い歴史をご紹介させていただきます。ぜひお楽しみに!