トワル・ド・ジュイとは?
16世紀フランスにて、クリストフ=フィリップ・オベルカンフ氏によって製造された美しいトワル・ド・ジュイは、 現在、メゾンCharles Burger(シャール・ブルジェ)がそのオリジナルデザイン版と共に織り機を所有しております。
”現代版”や”モダン”などと言った枕詞が付くトワル・ド・ジュイではなく、アトリエ・マリー=ルイーズは、オベルカンフ氏によって製造された、16世紀から続く”本物のトワル・ド・ジュイ”を求めてフランスを旅してきました。
16世紀フランス プリント生地産業到来
ルイ14世の時代、フランスのブルジュア階級では、洋服生地は主にウールが好んで使用され、一般庶民はリネンが広く使用していました。 そんなある日、ポルトガル人貿易商により、インドで作られたプリント生地が南フランスのマルセイユ港に初めて伝えられました。
それまで、生地にデザインを”プリントする”と言った概念は、フランス人には全くなく、当時のフランスでは、 生地のデザインは、全て職人の手により美しい刺繍が施されたものばかりでした。そんなインドで作られたプリント生地は、 当初、一度洗ってしまえば、色は落ちてしまうに違いない!日光を浴びたら、変色してしまうに違いない!と散々な言われようで、 全くフランス人に受け入れられませんでした。
しかし、しっかりとした生地質のウールの服ばかりを好んで着ていたファッションに敏感なフランス人女性たちが、 徐々にそのコットン生地の着心地の良さと豊富なデザインに魅了され始め、瞬く間にフランス全土の女性の間で、 プリント生地の洋服が大流行しました。
ただ、それを良しとしないルイ14世。 フランス国外で作られた生地がフランスで流行する事が、不満でなりません。そこで、なんとルイ14世は、 プリント生地で作られた洋服を一切禁じる禁止令を出しました。
しかし、それに猛反対したのが、ファッションに敏感な多くの女性。 禁止令が出てからというもの、プリント生地は、ますます人気を呼び、とうとうルイ14世もこの現実を受け入れなくてはいけなくなり、 そうであるなら、フランスが世界一の品質のプリント生地を作ってみせよう!ということで、インドに数名の調査員を送り、 徹底的にプリント生地の手法、技術を学ばせ、フランスに持ち帰らせました。
それ以降、フランス全土でプリント生地は生産されるようになり、時代とともにそのデザインの流行も変化していきました。
16世紀フランス プリント生地産業到来
ルイ14世によって建築されたヴェルサイユ宮殿は、当時は現在のような豪華で美しい装飾の建築ではなく、 狩りへ行く途中の離宮として建てられたものでした。これを、ルイ16世(王妃はマリーアントワネット)は、 フランス全土から各方面の職人や専門家を集結させ、フランスの芸術的、文学的の最高傑作として現在の形であるヴェルサイユ宮殿を作り上げました。 当時フランスでは、発明されたばかりのジャガード織りと、オベルカンフ氏が作り出す美しいプリント生地が二大ブームとなり、ヴェルサイユ宮殿内の装飾や当時の洋服用の生地として使用されました。
ファッションに敏感な王妃マリーアントワネットも、最も美しいプリント生地をフランス中で探し求め、 パリよりほど近い、ジュイ=アン=ジョザスと言う街で、オベルカンフ氏によって製造されたプリント生地に巡り会い、 生涯こよなくその生地を愛したことは有名なお話です。後に、この生地は「Toile de Jouy(トワル・ド・ジュイ)=ジュイからの生地」と名付けられます。
なぜオベルカンフ氏の生地がそれほど愛されたのか?
それは、まず、Toile=生地に違いがありました。
オベルカンフ氏が作るコットン生地は、他の誰が作る生地よりも大変肌障りがよく、大変着心地の良いものでした。
また、もともとカラーリストを本業とするオベルカンフ氏は、何度洗っても色落ちする事のない美しい発色のプリント生地を得意とし、 多くの国でデザインを学んだオベルカンフ氏が描く当時のデザインは、マリーアントワネットをはじめ、多くのマダムの心を魅了しました。
全盛期、オベルカンフ氏の生地製造所では、1300名もの従業員が働いていました。
また、後のナポレオン皇帝も、オベルカンフ氏の作り出す生地に魅了された1人として有名です。
オベルカンフ氏の工場は、ルイ16世より「王位マニュファクチャ」としての称号を与えられ、ナポレオン皇帝からはレジオンドヌールの勲章を授与されています。
18世紀フランストワル・ド・ジュイの衰退と継続
1815年、オベルカンフ氏死去。 オベルカンフ氏の死後、製造所は徐々に衰退していき、1843年、とうとう製造所は、閉鎖を余儀なくされました。
多くの情報では、ここで製造所はほぼ取り壊され、街に工場の面影は残っていないとされていますが、 実は、当時オベルカンフ氏の製造所で使用されいたデザイン版や織り機は、1860年、フランス人貿易商Charles Burger(シャール・ブルジェ) 氏へ所有権が移行され、ブルジェ氏により、小さいながらもオベルカンフ氏の生地は受け継がれていたのです。
そして、現在、16世紀からあるオベルカンフ氏のデザイン版や織り機は、今なおここフランスのメゾン・シャール・ブルジェの製造所で現在でも稼働する状態で大切に保管がされ続けています。
メゾン・シャール・ブルジェ、そのオベルカンフ氏の理念を今なお受け継ぎ、現在も世界最高品質の生地を製造し続け、
現在、 アメリカホワイトハウス、イギリス王室、オランダ王室の御用達生地メーカー として、室内装飾用の生地として愛されています。